画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが『悲しむ老人』という名画を遺したように、昔から多くのアーティストやクリエイター達が、「死」や「喪失」というテーマを扱ってきました。
今回ご紹介するミランダ・ジャビットさんもその一人。彼女は、Toon Boom のStoryboard ProとHarmonyを使い『Smoke’s Last Thought(煙の最後の想い)』という2Dの短編アニメーションを制作し、「死」とは何かを探る試みをしています。
この作品は、アメリカ西海岸のカリフォルニアに住む老人ギルの入浴シーンから始まります。ギルの傍らで幸せそうに歌うのが、主人公であるキャンドルの炎。ギルは入浴後にキャンドルを消し、幸せに歌っていた炎を煙に変えてしまいます。
いきなり消えてしまうという切迫した状況に、炎だった煙は葛藤しながらも、ロサンゼルスの空へと浮かび上がり、体を持たない他のもの達に出会います。
「死というものは、自分達が理解している以上にあらゆる所に存在していると思います。私達が感じる恐れや不安という感情の中に常にいて、そっと近づいてくるんです。この作品の中の主人公である煙は、基本的には精神崩壊した状態です。炎だった彼女は今は煙になっていまい、時間を巻き戻したいと思っていても、彼女にはそれが出来ない。」(ミランダ・ジャビットさん)
※2018年に公開された『Smoke’s Last Thought』は、世界の映像フェスティバルを巡り、アメリカや海外で様々な賞を受賞しています。16分に及ぶこの短編アニメーション作品は、2019年9月にオンラインでも公開されています。
ジャビットさんがこの作品を作ることになったのは、イギリスの政治文化学教授であるエスター・レスリー博士の『Hollywood Flatlands』という本を読んだ事がきっかけです。戦前のアニメーションとアバンギャルド・アート、現代風刺を、当時の図案や色などと共に紹介したこの本に感銘を受け、その後彼女は、1920〜30年代のアニメーションについても研究します。
当時のアニメでは、キャラクターが心の動きや葛藤に合わせて、しなやかに伸び縮みして動いており、その形式が今回の作品のベースにも反映されています。
また他にも今村昌平監督による1989年の日本映画『黒い雨』や、1953年に作られたアメリカの短編アニメ『Duck Amuck』などの映像作品も、この作品に影響を与えています。
この作品のアイディアを思いついたのは、ジャビットさんがロサンゼルスの街を歩いていた時だったそうです。
「ロサンゼルスの公園を散歩中にふと思いついたんです。それまで、煙をキャラクターにしてアニメを作るなんて事を考える時間もなかったので。『Hollywood Flatlands』の中でレスリー博士が紹介した伸縮自在なキャラクターの考え方を表現するには、煙というのはすごく理にかなってるなと思ったんです。それから何度考えても、そういう表現のキャラクターを作るには、どうしても煙じゃなくちゃいけない気がしたんですね。」
ジャビットさんは、ロサンゼルスを拠点に活躍するビジュアルアーティスト、作家、講師で、アニメーターとしては5年ほどの経験があります。アニメ作りを始めた当初は、紙と鉛筆の他に、iMovieやPowerpointのスライドを使って作っていたそうです。
その後、自身の想像力や創造性をより発揮するために、アニメーション作りのソフトウェアが必要になり、Toon BoomのHarmonyを独学で使うようになりました。
「オンラインのチュートリアルビデオでHarmonyの使い方を勉強していた時に、分からない事があって苦労していて、Toon Boomにメールを送ってみたんです。
そしたら同じ日に回答を返してくれました。
このソフトの向こう側には、生身の人々がいるんだと知って、しかも親身になってアニメーターの要望に真剣に応えようとしている小規模の企業である事も分かり、ただのアニメの制作ソフトという印象からすごく変わりました。」
彼女はHarmonyを独学で身につけ、この作品を3年がかりでたった一人で作り上げました。音楽の制作については人の助けを借りたものの、ボイスオーバーのほとんどは彼女自身で行っています。もちろん歌もそうです。
この短編アニメーションは、ジャビットさんにとってもパーソナルな作品で、老人ギルのキャラクターは、彼女のひいおばあさんからインスピレーションを受け、名前は彼女のパートナーの祖父の名前からつけられています。
そして彼女自身もまた、この作品の煙と同じような挫折を経験しています。
「作品作りに3年もかけてしまうと、とても奇妙な気持ちになります。架空のデジタルなものが、心の中で大きな存在になってしまうんです。
1人の人がほとんどの仕事をしてしまうようなアニメーションづくりだから、そういう事が起こるんだろうなと思います。3年間を費やして出来た、そうしたちょっと変な自分の心や行動なんかも、気に入ってたりします。」
『Smoke’s Last Thought』の中に見られるジャビットさんのスタイルは、彼女の視覚芸術の経験からも来ています。彫刻家でもある彼女は、空間的に物体を捉える傾向にありますが、だからこそ平面的な2Dアニメーションの世界に惹かれるのかもしれません。といっても、彼女は完全なアーティストタイプというわけでもありません。
「商業の世界について考えることは、私にとって意味のあることなんです。実際、アートと商業アニメーションの両方に惹かれていて、それが作品にも表れていると思います。
私はよくニュートンの重力の法則とか、いかにアニメがその法則に従わなくていいかとか、そんな事を話すんです。私にとってアニメーションの世界は、文字通り重力を感じる必要のない空間で、それがすごく魅力的なんです。」
確かにこの作品では、煙のキャラクターはもちろん、動物や人間も、流動的でしなやかな形で表現されています。
彼女は自身の制作スタイルを「実験的」だと表現していて、実際にこの作品も、紙と鉛筆にHarmonyのようなデジタルツールを組み合わせたハイブリッドな制作工程で作り上げています。
「制作では紙などのアナログなツールを使いながら、Harmonyでやりたい事のラフスケッチを描いたりもします。Harmonyのカメラ機能がとても気に入っているんですが、ダイナミックなカメラの動きをつけたい時にどうすればいいか分からない時は、先に手描きしてから、実際にカメラが動いた時の個別の視点をカメラ機能で設定します。
またHarmonyは何でもフレキシブルに修正できるので、すごく助けられました。カメラの動きを変えた後に、キャラクターの体の一部や動きを加える必要が出てきた時も、そのショットを簡単に引っ張ってきて修正し、またエクスポートすればいいだけなんです。」
この作品作りでジャビットさんは、カメラ機能以外にもたくさんの機能を活用し、もともと彼女が想定していたよりもずっと多くの撮影作業をHarmonyで行っています。半分手描き、半分デジタル作画のショットを作り上げるために、全部レイヤーにしてインポートし、その上からスケッチするという作業を経て、この作品の印象的なシーンを作り上げました。
「最後の方に分子が煙を取り巻いたり、煙が縮んでいくショットがあって、フワフワ動き回ったり、歌ったりするんです。そのショットは、Harmonyと紙とを何度もやり取りして作りました。
そのレイヤー化工程で、分子の上に煙のキャラクターを描いたり、手描きで取り込んだものにピクセルブラシを使って色のアクセントを加えたり。そうやって分子の一つ一つに修正を加えたり強調したりして、奥行きをつけたんです。」
『Smoke’s Last Thought』の制作や宣伝活動の後、ジャビットさんは教育現場で2つのプロジェクトに取り組んでいて、その一つはHarmonyを使用したアニメーションの制作プロジェクトです。
学生が「アニメーションの仕事に興味がある」とアドバイスを求めて来た時には、彼女はいつもこう言います。「誰の許可もいらないから、やりなさい」と。
彼女のクラスにやってくる学生たちの多くが、マイノリティーであったり、育った環境で疎外されてきたためか、「得意じゃないから」と自分を低く評価する事が、ジャビットさんは気がかりに思っています。そうした型にはまったものを変えられたらと彼女は望んでいるのです。
「歴史的にみて、そうした考え方は、たまたまテクノロジーに触れる機会を持てなかった特定の人々を蚊帳の外に押し出してしまうと思います。テクノロジーは単なるツールであって、時間をかければ習得できます。私は、『あの人は天才だから』とか『あの人は得意だから』という考え方よりも、『1万時間かかったとしても誰でもできるんだ』という考え方の方が好きなんです。」
とはいえ、アニメーションが万人向けでない事は、彼女も理解しています。でも、それがクリエイティブなキャリアを諦める理由にはならないと思っています。
「自分自身を理解するのに、やる気や情熱は重要です。多くの人が、自分はこれが好きなんだと思い込んでクラスにやってきます。でも、心からやる気になったり楽しかったりする事が、本当に将来やりたい事を教えてくれると思います。
だからもし何十時間も座り続けて地道にアニメーションを作る事を心から楽しめないのであれば、もしかしたらプロデューサーだったり、デザイナーだったり違う種類の仕事が向いているかもしれません。」
ジャビットさんが伝える、自身を見つめてみる事の大切さ。
彼女への今回の取材の締めくくりにぴったりなのは、きっとこの作品の中で、ナレーションが、煙に語るこのセリフでしょう。
「‘Me’ is a mirage. The end is not you.」
(「私」という存在は蜃気楼。あなたは終わりではありません。)